「学生時代から住宅営業を希望してました」

2児の母でいま40歳の園部雅子さんは、千葉大学在学時代、そんな想いを持ってポラスグループの門を叩いた。

埼玉県、千葉県、東京都を中心に住宅事業を展開するポラスグループといえば、いまはJリーグ 浦和レッズのトップパートナーを務める企業としても知られる。

園部さんはいま、ポラテックプレカット営業本部営業二部の部長を務める営業ウーマンで、12名の部下を率いる存在。

20年前の営業職というと、客の都合で帰宅や帰社夜遅くなることもあるため「当時は、女性の営業は絶対にとらないといわれた時代」だったという。

そんな時代にポラスグループに入社し、2人の子どもたちを育てながら、どう仕事と向き合ってきたか。その20年のキャリアを振り返る。

ポラスのプレカット事業とは

まず、いま園部さんが在籍するポラテックプレカット事業部とは、いったいどんな部門か。

このプレカット事業部では、住宅の構造材などの木材加工の工程をコンピュータ制御と機械で行う工場生産システムの部門。

住宅用の木材は、大工の現場作業だった。大工は、柱や梁に墨付けし、ノミやカンナを使って加工していた。

オートメーション化がすすみ、継手や仕口など複雑な加工も処理できるプレカットは、いまや住宅用木材加工分野で欠かせない存在に。

この分野でポラテックは、日本一の生産量をマークし、全国に5か所の工場を稼働させている。

こうしたプレカット事業部でリーダーを務める園部さんは、入社当時はどんな働き方だったか。

「なかなかクセのある現場監督もいて……」

「新入社員として担当したのが、当時急成長していたビルダーです。次々に注文が舞い込むなかで、現場から現場へ飛びまわる毎日でした。週3日は現場にいたと思います。なかなかクセのある現場監督(クライアント)もいて、厳しい言葉もいっぱい受けました」

「先輩から顧客を引き継いだとき、クライアントから『女性でだいじょうぶか?』という不安な顔がいやでも伝わってきました。知識や経験が不足している分、まわりに教えてもらいながら、ひとつずつ案件をこなしていくうちに営業担当者として認めてもらえるようになったと思います」

当時の園部さんは、現場での経験を積み重ねながら、こんなことを思っていた。「母親が働いている姿を見て育ってきたから、結婚や出産を経ても仕事はずっと続けていきたい」と……。

「そんな厳しい現場で出会った人と結婚」が、まさかの大阪転勤

「夫は営業先の現場監督。出会ったのは入社8年目、29歳の時でした。すでに大阪転勤が決定していたのですが、3年クールの転勤は厳しいと考え『行けません』と会社に伝えました」

「上司がかなり譲歩してくれて、1年だけ、大阪に転勤することにしました」

そしてこの大阪時代に、園部さんは大きな挫折を経験する。

「リーマンショック後で大手でさえ倒産するような時代のうえに、大阪にネットワークがなかったことや、大阪特有の商慣行にも苦しまされました。その結果、ほとんど成果を出せなかった。やっと決まった取引先も納品後に入金されず、たいへんな思いも体験した」

「結果が出せなかったにもかかわらず、1年後、三鷹に配属されたさい、マネージャーに任命されました。大阪で実績が上げられなかったうえ、1年で帰還した負い目もあり、正直、マネージャーはやりたくありませんでした」

悔しい想いからマネージャーに、そして出産と育児へ

「責任感はありましたが、大阪時代の悔しさをバネにといった気負いはありませんでした。ただ、部下といっしょにひとつひとつ誠実に仕事してただけのような気がします」

「小さな仕事でも、しっかり取り組むなかで、やがて契約も増え、課員ひとりひとりの努力の結果、1年後には計画比約120%に……。そんなころに、妊娠、出産しました。32歳の時でした」

園部さんは育休を経て33歳で本社に戻り、ふたたびマネージャーに。当時の部下は5人。そのときのワークスタイルをこう語る。

「育児との両立で、9時から17時まで(通常18時まで)の時短で働きました。19時には保育園にむかえに行く。仕事のやり取りは夜遅くなっても携帯電話やメールでしてましたね」

「そして翌朝は5時半起床。7時過ぎに子どもを保育園に送り、仕事に向かっていました。この繰り返しでした」

「実はこの時の記憶がないんです」

「昔の写真を見て思い出す程度。子どもを乗せた自転車のペダルを必死にふんでいたイメージばかり強く残っています」

「当時、部下が夜遅くまで仕事をしているなかで、自分だけ早く帰るのには抵抗がありました。そのせいで本来、アドバイスするべきときにアドバイスできないとか、部下に対して遠慮しすぎていた面があったように思います」

「部下のひとりが『辞める』といい出したとき、その点をすごく反省しました。あの時、もっとしっかり関わっていたらと悔やみました」

そのころ、園部さんがかかわる仕事はますます忙しくなってくる。大工不足でプレカットのニーズが高まったことで会社の業績も伸び、生産設備や生産拠点を拡大する時期にさしかかる。そんななか、園部さんには第2子が。

「第1子の育児と仕事の両立だけでたいへんなのに、さらに妊娠。第2子の妊娠中は最も厳しい時期でした。消費増税前の駆け込み受注が大きな山となり、殺気立つほど忙しい年末も妊娠8か月の身で乗り越えてました」と園部さんは笑いながら振り返る。

「半日でもいいので在宅勤務を」

園部さんは36歳をむかえるころ、部長職への任命がささやかれる。が、「わたし自身、No2タイプ」と感じていた園部さんは、一度はそのオファーを断った。そして部長への昇格を決めたきっかけが、人事セミナーだったという。

「会社で人事セミナーがあり、支援型リーダーシップの話を聞きました。『これならわたしでも』と思い、覚悟が決まりました」

「売り上げ目標を達成し、会社の雰囲気をもっと明るくしたい。働くのが楽しいと思える職場にしたい」という園部部長。彼女は職場のこれからについて、こう考えている。

「女性活躍のためには、半日でもいいので在宅勤務を認められるとさらに働きやすくなると思います。子育て中の女性は、子どもが病気になったときなども柔軟に対応できるよう、少しずつ体制が整っていくといいなって思います」

おすすめ記事