--前頁よりの続き--
●序章より
それにしても私は、なぜノートを書くのか。
『論語』に「性は相近し、習えば相遠し」との教えがあります。人の性質は生まれたときにはあまり差はないけれど、その後の習慣や教育によって次第に差が大きくなる、という意味です。学びには終わりはなく、学び続けなければ成長はありません。成長とは自分が気持ちよく過ごすため、物欲や支配欲を満たすためなどでなく、自分の周りの人たちの笑顔を少しでも増やせるようにすることだと思うのです。
その日の試合や人との触れ合いから何を感じ、どんな行動を取ったのか。それは、私たちの道しるべとなる先人たちの言葉に沿うものなのか。1日だけでなく2日、3日、10日と反省を積み重ねることで、自分を成長させていきたい。
私は弱い人間です。子どものころは次男坊のわがまま少年で、野球を始めたのは「我慢を覚えさせるためだった」と父に言われました。
大人になったいまも、「今日はこれができなかったから、明日はこうしよう」と心に留めておくだけでは実行に移せません。忙しいとか時間がないといったことを言い訳にして、つい自分を甘やかしてしまう。そうならないために、ノートに書いて一日を振り返り、読み返してまた反省をするようにしています。
ノートに自分の思いを書く行為は、周りの人たちとどのように接したのかを客観視することになります。

(写真:光文社 「栗山ノート」)

●本文より1
私が気を付けているのは、相手の話を聞くことです。
話を聞くということは、相手の思いに触れることです。選手の話はできるだけ聞くようにします。聞き手にならなければ、相手の悩みや苦しみに近づくことはできません。
私に悩みを打ち明けたからといって、選手の心が晴れるわけではない。野球のことならともかく、家族、家庭、友人関係の悩みなどは、できることが限られます。何もできないかもしれない。それでも、話を聞いてもらうことで気持ちが落ち着いたり、心の重荷をほんの少し下ろしたりすることにはつながります。私自身が話すことで救われる経験をしてきたこともあり、胸のつかえを吐き出すことで新たな一歩を踏み出すことができるのではないだろうか、という気がします。・・・・

--次頁へ続く--

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